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この時、ジム・Pは、「レクサス」の販売チャネルを閉鎖するか、米国でアッセンブルしたT社車に「レクサス」のブランドを付けるか、とのギリギリの選択を模索していた。
期限の6月28日が近付くなか、米国インターナショナル自動車ディーラー連盟が事態打開に動き出した。
共同会長を務めるウォルター・ハイゼンガとジェル・バーグの二人は東京に飛んで日本の自動車会社首脳と会談し、打開策の可能性を探ると同時に、ジュネーブで日本の自動車会社首脳と米国の自動車部品会社との直接対話の場を設営することで合意した。
期限ギリギリになって妥協が成立した。
日本の自動車業界は、米国における自動車生産の拡大と米国製の自動車部品の輸入に努めるとともに、すべての日本の自動車取引業者に対し、外国製のクルマを販売することを認める手紙を出すことで合意した。
この結果、対日高率関税の制裁は見送られた。
日米双方とも歓迎の声をあげたが、最も喜んだのは、米国で日本製の高級車を販売する数千人のディーラーたちだった。
「レクサス」はなくならないことがはっきりしたのである。
「レクサス」の売上げは、1995年に一時鈍化したが、米国T社は1996年、新たにSUV(スポーツ・ユーティリティ・ビークル)タイプのLX450や二代目RX300を投入するなど巻き返しに出た。
さらに1997年には全面改装したES300、スポーツカータイプのGS400などが投入され、再び米国の「レクサス」販売は勢い付いた。
GS300の販売価格は3万6千8百ドル、GS400は4万4千8百ドルで、メルセデス・ベンツのE430、BMWの540iのいずれよりも安く設定された。
RX300は、1999年には7万3千台、2000年には8万9千台を売るなど「レクサス」のヒット車となった。
「レクサス」の売り上げはディーラーを守り生まれた信頼関係「なによりも重要だったのは、T社とディーラーの間の信頼感が強まったことです。
1995年の貿易摩擦が米国T社とT社のディーラーの間を近づけたのです』今Pはこう振り返る。
「TMSは、米国において最も成功し、最も尊敬される自動車会社になる。
単に企業として売上げや利益を伸ばすのではなく、みながTMSの社員であることに誇りを持ち、尊敬される存在になる。
TMSは、T社が100%保有する日本企業としてではなく、米国の企業市民として組織肥大による危機1996年7月、米国T社販売(TMS)社長にその後T社副社長となる石坂芳男が就任した。
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